この本がおもしろかった

実は危険なダイオキシン  「ダイオキシン神話の終焉」の虚構を衝く

シクロオヤジは 職場闘争のために ダイオキシン問題について 必死で学習しています

問題意識としては 動労千葉の反合理化・運転保安闘争路線から 職場のダイオキシン問題に 取り組みたいからです

接近の仕方を間違えると 労働者の団結の拡大どころか 労働者との間に溝をつくってしまう

比ゆ的に言えば 原発で働く労働者は 原発は危険だ 核と人類は共存できない と いわれてもそれで飯食ってるし 事故は起こるし どう働けばいいのかとまどう

なにより 事故が起きるたんびに 放射能に汚染され床にたまった冷却水を雑巾でぬぐう仕事を 膨大な西成の立ちん坊がやってきたことで原発は動いている

この労働者の使い捨て 奴隷のようなあつかい 組合をつくったら直ぐにクビにする

解雇撤回のたたかいとは 安全問題と密接に結びついている 

ゴミの最終処分場は 大規模な公共事業で、膨大な税金が使われている

自治体の仕事は 水道と 道路作りと ゴミの収集と焼却 これが過半なのだ

だからゴミの焼却がダイオキシン問題で24時間燃やさなくてはならなくなって 

その焼却灰をどうするのかが大問題となったのだ

埋め立てるところがなくなって去年の10月から大阪湾のど真ん中に島をつくりだした

シクロオヤジはそこで働き始め 奴隷のような扱いに労働者が怒り組合を結成するのにたちあった

組合の解雇撤回闘争では動労千葉の反合理化・安全闘争がまさに問われた

近畿2府4県のごみ焼却場の焼却灰がもちこまれ、内海に1日6000トンもの廃棄物を入れた分だけ大阪湾に排水している

排水のダイオキシンの検査はしているようだが ダイオキシンはないかのようにとりあつかわれている

そもそも職場では ダイオキシンは禁句となっている

ものすごい危機感はもったが ダイオキシン問題と解雇撤回闘争をどう結びつけてたたかえばいいのか試行錯誤してきた

組合員の労働者との間で この問題については ものすごく討論してきたが

しかしこれだという 闘い方はできてないし 全てはこれからなのだ  

シクロオヤジは 動労千葉が 

会社(資本主義)には安全は解決できない 

安全問題は労働者にとって日常的に緊張するプレッシャーとなっており

事故問題で 事故の責任は運転手 とおしつける処理の仕方には不満が充満しており

事故問題を 運転手には責任はない という反合理化路線で言い切る

体制内労働運動が屈服していた問題を 運転手に責任はない 会社のやり方で事故はおこるべくしておこったんだと鮮明につきだすことで 労働者の団結 組合の団結を拡大できる

危ないレールを交換させる 危ない速度を順法闘争で安全なダイヤとして反映させる

ジェット燃料を運ばない 拒否 から ハンドルを握って 阻止するへの転換

それが今日の三里塚での労農同盟のゆるぎない地平をつくりだした

この動労千葉の闘いの地平は 

労働組合は 労働者階級は資本主義の矛盾ともっともたたかえる存在であり

労働者が資本主義のあらゆる矛盾と先頭で闘う事で あらゆる階層の、資本主義のあらゆる問題を 

資本主義打倒のたたかいへと 革命への闘いへと 収斂させ

問題の真の解決をはからねばならないという立場にたつ

反合理化・安全闘争路線から 解雇問題、環境問題や核問題に接近するという観点はとても大事です

多くの場合 そこには共産党や社民党 民主党のイデオロギーが相当影響を及ぼしています

資本主義を前提にした 資本主義が永遠である という立場だから 

例えばゴミ問題が資本主義のアキレス腱だという視点はない

労働者の 労働組合の 団結もまさに 安全問題が死活的だというのは

具体的に一人ひとりの労働者の日々の実感として

自分の労働で 命が危ないということもあるし 

ダイオキシンをまきちらし第2の水俣病を準備しているのではないか という責任感の萌芽のような緊張感を感じつつ仕事をしている

シクロオヤジが混迷をふっきれたのは 島に労働組合がぶったつことで 資本の好きなようにはやらせんぞ

動労千葉がレールを交換させたようなたたかいをやる

そのためにも 解雇を撤回させねばという 解雇撤回と安全闘争の統一によってです

だからゴリゴリと自分の中の体制内思想とたたかい

労働組合の団結、労働者の団結のために党派闘争 イデオロギー闘争が必要だなと思いはじめ理論を求め実践を開始しようとしています

新自由主義が破産し 世界大恐慌がはじまった現在 職場の矛盾、全ての問題は これと無関係なものはありません

世界革命が いままさに問われています

これについての不動の確信があれば 

そして革命は労働者階級自身の事業である 

帝国主義があらゆる問題を解決できずに震え上がっている 

もはや資本主義には解決能力がないんだという認識があれば

労働組合は 住民に 漁民に インテリゲンチャに 労働組合という団結を武器に

柔軟に 接近し 大胆にふみこみ獲得していかねばならない

そういう問題意識で この本をよみました 

川名英之という人が書いていますが

環境ジャーナリストで 検証・カネミ油症事件 も書いておられる

EUのゴミ対策・ダイオキシン対策に詳しい

この本は ダイオキシン・環境ホルモン対策国民会議の幹事で 

止めよう!ダイオキシン汚染・関東ネットワーク事務局長の藤原 寿和さんなどと話し合いながら書いています

だから 環境問題を包括的にとらえていると思いました

シクロオヤジはこれまで ネットでダイオキシン問題を調べてきました

そしてこのごろ 大阪市立中央図書館で 

環境問題はなぜウソがまかり通るのか 武田邦彦 のとんでもないデマゴギー本を読み 

それを具体的に批判する内実がない自分に腹が立って 

山本 弘さんの 『環境問題のウソのウソ』  

長山 淳哉さんの 『ダイオキシンは恐くないないという嘘』

そして 『実は危険なダイオキシン』 にたどりついたのです

この本をよんで 色々 事実関係で重要な発見をしました

特に 能勢ダイオキシン訴訟の原告の労働者が 癌でなくなっていたということと

彼が生前 豊能郡美化センターで どのような労働をやっていたのか

どの程度被爆していたのか 詳細に知ることができた

ネットでは知ることができなかったが 

これでオヤジの職場での実際の状況と比較すると

どういう問題がでてくるかも 大体 推測でき 

組合として闘うことの死活性もはっきりしてきました

猛然と 闘争のイメージが できつつあります

もうすぐこの本も返却しなければならないので

忘備録として 残しておきたい

以下 この本の概要を書き記します

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サンフランシスコ国際労働者会議 発言集

動労千葉の7月サンフランシスコ国際労働者会議 の訪米報告集を読んだ

特に発言集で世界のランク&ファイルの闘いを知り 熱い連帯の思いをもった

ILWU ローカル10のジャック・ヘイマンさん動労千葉 田中委員長 民主労総ソウル本部指導委員 イ・ジョエンさんらの発言は別格です

貨物連帯のストの総括 金属労組の双龍ストはこれから決戦局面に入るのですね 

トルコのDisk(進歩的労働組合連盟)のトゥファン・セルトレクさんの発言で、宗教的な原理主義運動の問題でのエピソードがすごい

先日イスラム原理主義の象徴であるスカーフをかぶった女性3人が組合事務所を訪れ「組合をつくりたいので手伝って欲しい」と相談されたがちょうど病院の闘争で忙しく体よくあしらって帰ってもらったそうだ。ところが3日後彼女たちが来て「私たちがスカーフをしているのがいけないの?」さらに「あなた方が社会主義者、共産主義者だということは知っています。でも他の組合ではだめだったから、あなた方を頼ってきたんです。労働者階級を代表し、戦闘的に闘っているあなたたちと一緒にやりたいんです」と!

わたしは9・11いらい世界の労働者階級の闘いが イスラム原理主義との党派闘争で

たとえばパレスチナでPDFLPやPFLPなどマルクス主義が負けてるなと、思っていて 昨年の11月集会でイランの労働者の発言にかすかな希望をもってきた

いや世界中でマルクス主義が複権しているんだ

ブラジルのコンルータス(全国闘争連盟)も結構いい線いってますね

カール・マルクスが「共産党宣言」で述べた言葉、「万国の労働者 団結せよ!」を実現するためにともにたたかいましょう と完全に動労千葉と連帯することを明言している

フイリピンは「動労千葉のように断固スト打ち抜く」とフィリピン労働党の代表が公言している

 レイバーネットによくでてくる人達と違うグループがいるのか

あの労働組合運動のメッカであるイタリアにもジェノヴァ港湾労組という すごい組合がいるじゃないか

シンディ・シーハンさんは なんであんなに階級的労働運動路線なんだろう

アメリカのイラク反戦闘争も、ILWUのたたかいでものすごい分岐がすすんでいるんだと圧倒されます

教育労働者のサンディエゴでの交流 アメリカの青年労働者も元気いいですね

6日間の訪米闘争の〆となった音楽の夕べ

ボスをほうりだせ という曲はわかりませんが

お前はどちらに側に立つのだ は以前紹介したこの曲だとおもいます

ピート・シーガーhttp://www.youtube.com/watch?v=5iAIM02kv0g&feature=related

ついでに全然戦闘的ではないのですが発禁曲 勤労意欲をそぐという理由らしいのですが ボス しけてるぜhttp://www.youtube.com/watch?v=BqXVmdkrGks 

RCサクセションはアメリカのR&Bのソウルという音楽をそれまでの英語で猿真似するとか 日本語に訳すとか いうやり方から 日本語のフィーリングと 融合させて 語呂合わせみたいな形で 和製R&Bというスタイルを確立していったのです

オー イエーとういう英語のつぶやき おお そうか という歌を訳すのではなく

そういう気持ちが 大家とのトラブルに悩んでいたイマワノ 清志朗は

こういう 独特の歌として表現したかったのでしょうね

オーティス レディングが好きだった オヤジは 20年から30年間ほど そういう音楽とか映画とか 無縁のというか 自分の感性を封印していた時期があって 今その反動がドーンときていて 必死でとりもどしている最中なんです

でも活動しながらRCサクセションのこの曲は気になって仕方なかったですねhttp://www.youtube.com/watch?v=uH--QLg6kcY 

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星野同志を取り戻そう 松川事件について

獄中でたたかう星野同志を奪還したい

松川事件・再審での労働組合のたたかいが重要だと思うのですが、

下山事件など謀略説は間違いだ

ということについてまだ常識になってないとおもうので以下の本を読んだほうがいいと思います

酔流亭さんのブログからコピペしますhttp://suyiryutei.exblog.jp/11327804/

本の紹介 『松本清張の陰謀』

         佐藤一 著(草思社 2006年2月刊行)

著者は松川事件の元被告。一度は死刑判決を受けたという特異な体験を持つ。松川事件とは、1949年8月、福島県松川で起きた列車転覆事故である。乗務員3人が死んだ。当初、これは当時最強を誇った国労および東芝労組の戦闘的分子(ほとんどが共産党員)による犯行だとされ、東芝労組の活動家だった著者も獄につながれたのである。それが冤罪であったことは今日では確定している(1963年に完全無罪判決)。

その1949年は国鉄をめぐって奇怪な事件が相次いだ。松川事件が起きる前月の7月には国鉄の下山総裁が死体で発見され、中央線三鷹駅でも列車が暴走した。これらは全て共産党による赤色テロだとキャンペーンされて国鉄労組は戦闘力を殺がれた。国鉄10万人の人員整理がさしたる抵抗を受けずに進行した一因である。小説家の故・松本清張はこれらをアメリカ占領軍による謀略であると推理し、下山総裁も占領軍によって殺害されたと主張する(『日本の黒い霧』1960年)。

さて本書の著者・佐藤一氏は、松川事件で無罪判決を勝ち取った後、清張氏および共産党に請われて下山事件研究会の事務局長となる。しかし、氏は実証的調査をすすめた結果、下山総裁は自殺であったことを確信するにいたる。真相がいずれかは永久の謎かもしれぬが、占領期研究の第一人者、歴史家の竹前栄治氏によれば「現在は佐藤説が市民権を得つつあります」(竹前栄治『占領研究40年』(2004年)。

本書は、下山事件にとどまらず、清張『日本の黒い霧』に対する全面批判の書である。その辛辣さに、あるいは反発を覚える向きもあるだろう。読後感をブログ上でやりとりしたとき、そういう主旨のコメントも寄せられた。下山事件研究会事務局長時代、著者が提出した報告が他殺説に不利だというので握りつぶされた経緯もあったようだから、そのあたりの感情がときに筆先から迸ったこともあるかもしれない。しかし、それをもって私怨としたら、浅い理解である。清張個人をつらぬいて、我が国の反体制派の運動・思考法が持つ通弊を本書はたしかに抉っているのだ。
たとえば『黒い霧』に収められている「革命を売る男・伊藤律」という一篇。

戦後の一時期、共産党の幹部として羽振りが良かった伊藤律(レッドパージで潜行した後、中国に渡り、晩年に帰国)の評判はたしかに芳しくない。同時に、彼が権力と通じたスパイというわけではなかったことも今日の研究ではほぼ明らかにされている。彼が犯した指導上の誤りは、当時の党の弱さ(「九月革命説」に代表されるような情勢分析の杜撰・戦略戦術の右往左往など)に規定されたものである。ところが、清張のように「律=スパイ」説に立てば、党の混乱は主にスパイの工作によって引き起こされたということになる。そうなると謀略の犠牲者という面ばかり強調されて、誤りを自らの責任として見つめる視角は弱くならざるをえない。共産党のことだけを言っているのではない。運動がうまくいかぬ原因を「敵の策動」にばかりもとめて自省を欠く発想は私たちのあいだに根深いのだ。

同意できなかった点も書きつけておこう。
朝鮮戦争は北が先に侵攻したことは今日では明らかになっている。下山・三鷹・松川事件は朝鮮戦争開始に向けて仕組まれたアメリカの謀略であったとするのは松本清張の推理小説的思い込みにすぎないという著者の主張は説得的だ。しかし、北緯38度線が半島の人々にとっては外からおしつけられたものであり、分断はさかのぼれば日本による植民地支配に起因するなら、当時の心ある人々が北に同情的かつ反米的であったのは理解できるのである。これは、金日成やスターリンの武力統一路線が冒険主義であり誤りであったというのとは別の話だ。コミンテルン史観と断罪してしまうのは、いささか酷ではなかろうか。
とはいえ、権力に屈せず、革新陣営内の同調主義にも流されずに戦後史を生き抜いた著者の痛言にまずは謙虚に耳を傾けたい。効く薬は口に苦いのである。

さて シクロオヤジも尾崎 秀樹の『生きている ユダ」よんで伊藤 律=スパイと今まで思っていましたが 気になって 検索したところ こんな ブログがありましたhttp://homepage3.nifty.com/katote/ritsu.html

『図書新聞』書評評論(2000年1月15日号掲載) 

──『生還者の証言──伊藤律書簡集』(五月書房)を沖縄で読む──                              

 

加藤 哲郎(一橋大学教員・政治学)


 沖縄本島北部名護市、ジュゴンの棲息する珊瑚礁の海辺に、米軍ヘリポート基地が設けられようとしている。「本土」の冷たいまなざしのなかで、普天間基地の移設候補地とされ、二一世紀まで植民地的屈辱を強いる日米安保の矛盾の焦点になっている。二千年サミット会場も名護市、「北部振興」のアメで基地が押しつけられ、民意が分断される構図だ。 この名護の町の中心街の一角に、占領期日本共産党の指導者徳田球一の立派な顕彰碑が建っている。徳田は沖縄本島でも周辺の名護出身である。「為人民無期待献身」という徳田の筆跡を刻み、特徴あるマスクも彫られている。近くの由緒ある沖縄そば屋には、「本土」の著名な芸能人やスポーツ選手に交じって、日本共産党現委員長不破哲三の色紙が飾られている。不破もきっとこの地で「徳球」の亡霊を見たにちがいない。自分自身が安東仁兵衛『戦後日本共産党私記』(文春文庫)に描かれた、徳田時代の東大細胞リンチ事件の被害者の一人だったから。地元の郷土史家に聞くと、一九九八年十月の徳田碑除幕式には、名護市長や地元有力経済人が列席し、今日徳田ら占領期指導者を「徳田・野坂分派」と規定する日本共産党の地元党員たちも表だった妨害はしなかったという。二〇世紀社会運動史で省みられることの少なくなった「徳球」は、沖縄では「郷土の英雄」なのである。

 名護市はまた、ゾルゲ事件で獄死した画家宮城與徳の出身地でもある。「本土」ではもっぱらゾルゲ・スパイ団の尾崎秀実の協力者として知られる與徳は、沖縄では、アメリカに渡って絵を学び、志し半ばに政治に引き込まれ、日本敗戦を知らずに獄死した悲劇の芸術家である。九〇年に遺作展が開かれ、翌年沖縄タイムズ社から『宮城與徳遺作画集』も刊行されている。野本一平『宮城与徳──移民青年画家の光と影』(九七年)も沖縄タイムズ社のローカル出版だ。沖縄の人々は、與徳の絵のなかに島への愛着と望郷を見る。沖縄の中でも相対的に貧しい本島北部のこの地域は、戦前多くの移民を世界に送り出した。小さな集落でもハワイ、カルフォルニアや南米に親戚を持つ家が多い。宮城與徳の親族も何人かがアメリカに渡った。従兄の宮城與三郎はメキシコ経由でアメリカに入り、與徳よりも積極的に西海岸の移民労働運動に加わった。三一年末のロングビーチ事件で国外追放になりソ連に亡命、モスクワ東洋学院の日本語教師になったが、三八年、他の沖縄出身アメリカ共産党員島袋正栄、又吉淳、山城次郎らと共に「日本のスパイ」として粛清された。同じ「アメ亡組」の照屋忠盛のみ死刑をまねがれたが、強制収容所に送られ消息不明のままである(加藤『モスクワで粛清された日本人』青木書店、九四年)。照屋・島袋・山城も北部出身である。長寿の沖縄には彼らを知る古老がまだ存命している。照屋の実兄は、四五年沖縄戦中に「アメリカのスパイ」と疑われ、日本軍によって虐殺されていた。

 徳田球一への愛着も、宮城與徳への共感も、根は一つである。二〇世紀を通じて「本土」に翻弄され、戦争の防壁とされ、戦後もながく放置され、今なおしわ寄せを受け続ける島の屈折した歴史が、「反骨精神」と「郷土愛」を共に育んでいる。本土の「日の丸強制」を横目でみながら、「越境者・亡命者」をも組込んだ独特の政治文化を構成する。

 名護が産んだ徳田球一と宮城與徳を結ぶ線上に、「伝説の革命家」伊藤律がいる。伊藤自身は岐阜県出身で、尾崎秀実の後輩、徳田の右腕の共産党政治局員であったが、沖縄には、ゾルゲ事件や沖縄共産党との関連で、伊藤に関心を持つ人たちがいる。その一人、反基地活動家で沖縄民衆史に詳しい大峰林一によると、戦後の沖縄には地下共産党があった。合法地域政党沖縄人民党の影に隠れ、今日の日本共産党は存在そのものを認めていないが、五三-五五年頃確かに実在した。最近復刻された『平和と独立』全二巻(五月書房)は徳田共産党時代の貴重な第一次資料だが、そこにも収録されていない非合法沖縄共産党旬刊紙『民族の自由と独立のために』が、少なくとも数号刊行されていた。

 だから、渡部富哉の手で編まれた新著『生還者の証言──伊藤律書簡集』は、沖縄で読むと格別の臨場感がある。渡部には、『徳田球一著作集』全六巻(五月書房)刊行に尽力し『偽りの烙印──伊藤律・スパイ説の崩壊』(五月書房、九三年)で尾崎秀樹や松本清張により広められた「生きているユダ」伝説を覆した実績がある。そこには、中国での二七年間の査問・投獄を経て八〇年に帰国してから八九年夏の死に至る、家族や友人に宛てた伊藤の一三九通の書簡が収録されている。音信不通だった妻に「きみ子同志」とよびかけた帰国直前の手紙から、過去を自己批判的に検証する書簡が続く。ゾルゲ事件発覚の発端とされ、日本共産党除名の主たる理由とされた「スパイ」説は、自分の戦前獄中供述が特高警察と占領軍により情報操作され、共産党がそれに攪乱され便乗した結果であることを見出すまでの心境が、率直に綴られる。無論、日本国憲法制定時の共産党の態度は「憲法より飯」で今日流布する「憲法草案」は正式審議を経ない宮本顕治の作文だったこと、二・一ゼネストの内幕や第六回党大会直前のアメリカ帝国主義批判に転じた秘密会議、勃発一年半前の朝鮮戦争情報入手、コミンフォルム批判と「五〇年問題」時の党内闘争、徳田が中国出国時に余命四年の病気であったこと等々も、驚くべき記憶力で回想される。

 いわゆる北京機関での野坂参三・西沢隆二らの伊藤査問の状況、獄中生活の記述は、『伊藤律回想録』(文藝春秋社、九三年)と重なるが、戦前宮本顕治・袴田里見らの「スパイ査問」致死事件や、不破の体験した東大細胞リンチ事件を想起させる。川上徹『査問』(筑摩書房、九七年)、油井喜夫『汚名』(毎日新聞社、九八年)で最近ようやく明るみに出た七〇年代「新日和見主義」事件の原型として、日本共産党史の暗部を照射する。史実の確定にはなお検証を要するが、公認党史『日本共産党の七十年』や野坂参三『風雪のあゆみ』全八巻(新日本出版社)よりは、はるかに説得力がある。「愛される共産党の顔」野坂と違って、伊藤には汚名を晴らす以外の失うべき何ものもなかったのであるから。

 評者の研究する在独日本人反帝グループや旧ソ連日本人粛清犠牲者に関わる情報も、例えば講座派の論客で日ソ友好運動に尽くした山田勝次郎が、戦後党再建の資金提供者で綱領問題学者責任者として出てくる。中でも伊藤が「笑面鬼心」と評する野坂の裏面を知るには本書は必見だ。彼らの存命中は明るみにでなかったが、渡部も注記しているように、野坂は、二八年三・一五検挙直後の検事聴取書でも、保釈前の予審訊問調書でも、「君主制撤廃スローガンに反対」と供述していた。徳田・伊藤の路線とは当然衝突する。いや評者の調査では、日本共産党が創立時から天皇制打倒を掲げてきたという通説自体が、ソ連崩壊後にモスクワで明るみに出た関係資料に照らすと、「神話」であった(加藤「一九二二年九月の日本共産党綱領」『大原社会問題研究所雑誌』第四八一号以下参照)。

 五〇年当時の武装革命路線を凍結したまま保持し、私信でも「徳田の党のため」ときっぱり言い放つ伊藤律に、時代錯誤を見出すのは容易だろう。書簡に見られるマスコミや友人たちへの異常な猜疑心にも驚かされる。しかしそれが二〇世紀日本社会主義の重要な構成部分であり、沖縄ではなお実感できる運動の臨場感でもある。研究者にとっては貴重な証言で一級資料である。残念ながら社会運動史研究の全体が衰退産業となり、再生産不能なまでにリストラされてきているが。沖縄から基地が消え、「スターリンは大勢を粛清して殺したが、裁判にかけて相手に発言の機会を与えている。私には裁判はなかった」という伊藤の慟哭が歴史の中で公正に裁かれる日は、二一世紀のいつ頃になるのだろうか?

 野坂参三については共産党から除名されているが

 こういう見方で擁護している人もいる

和田春樹著

『歴史としての野坂参三』

評者:梅田 俊英

 ソ連が崩壊し,冷戦構造が崩れる中で,旧ソ連の資料の一部が公表されてマスコミでおおいに話題になったことは記憶に新しい。なかでも,スターリン体制下でディミトロフに送った山本懸蔵を告発した野坂参三の書簡の発見はセンセーショナルな報道であった。その後「野坂本」の発行が相次ぎ,現在に至っている。そのような中で,歴史家として冷静な史料分析によって野坂参三のナゾを追った著書が本書である。
 野坂問題とは,1930年「眼病の治療」による保釈のなぞ,山本懸蔵の野坂による「告発」とそれによる山本処刑における野坂の責任,アメリカとの関係,1930年代ソ連のエイジェントだったかどうか,戦後帰国後のソ連との関係,伊藤律問題など多岐にわたる。本書では逐一これらが検討され,回答が与えられている。他の野坂参三関係の著書が「スパイ野坂」のような展開であったり,断片的な叙述が多い中,本書は三・一五事件の保釈以後,戦後の新生日本共産党の最高指導者になるまでの野坂を追った系統的な叙述となっている。その意味で本書は野坂の伝記という面も持っている。
 和田氏が本書を執筆されたのは,NHKスタッフから受けた野坂訪ソ史料の検討依頼がきっかけとなったようである。その間に『週刊文春』や日本共産党から野坂問題について調査や声明があいついだ。本書は,それらに対する歴史家としての回答でもある。つづいて目次を紹介しよう。
 I 野坂問題の論じられ方
 Ⅱ 1930年代の闇の中で
 Ⅲ 抗日の中国で
 Ⅳ 帰国前のソ連行き
 V 戦後民主化と野坂路線
 Ⅵ 朝鮮戦争の中で
 附属資料 野坂参三のディミトロフあて報告,野坂がマヌイリスキーに送った野坂・山本逮捕の新聞記事,山本懸蔵事件再調査報告書,野坂・伊藤とタス通信記者との対談記録,野坂参三調書,マーミン調書
 以下,野坂問題について和田氏がどのような見解をもたれているかを見ていこう。まず第一に30年の保釈問題については「偽装転向ではなかったかという見方があるが,資料的には裏付けがないようである」(30頁)とされて,註で石堂清倫氏の次のような和田氏宛の書簡を紹介されている。
 「野坂が君主制廃止のスローガンを取り下げると検事局に表明したのが,共産主義の放棄と認定され,保釈された,これを知った獄中中央委員会がこの野坂の言動が党の瓦解につらなるのを恐れて,野坂をソ連に送り込むことを指示した。」
 ところで,大原社会問題研究所に三・一五事件の際の「野坂参三予審尋問調書」が保存されている。その第4回(昭和4年4月4日調べ)で「被告ハ報告ノ要点二掲ケラレタル政策ニツイテ什ウ考エテ居ツタカ」という問いに,野坂は次のように答えている。
 2個ノ原則綱領及13個ノ闘争目標ニ付イテハ特ニ異論ハアリマセヌガ,君主制ノ撤廃及之ニ類スル事項ヲスローガントシテ掲ケ之ヲ大衆ノ目前ニ現ハス事ニ付イテハ異論ヲ抱イテ居リマス 斯カルスローガンヲ掲ケルニハー定ノ段階ヲ経テ居ナケレバナラヌノト訓練ヲ経テ居ラナケレバナラヌノニ一定ノ条件トー定ノ準備カ出来テ居ナカッタノデ今日直チニ大衆ノ前ニ之ヲ掲ケル事ハ誤リダト思ッテ居リマス(1004頁)
 以上のように,少なくとも1929年には野坂は天皇制の撤廃を共産党が掲げるのは誤りだと考えていた。これは野坂の「偽装転向」の「資料的裏付け」とすることができないであろうか。
 ところで,最近三.一五事件で逮捕された際の予審尋問調書の全文が発見されたという (『東京新聞』1996年9月23日付)。この中で,野坂は「君主制の撤廃をスローガンとして掲げることには異論を持っている」「一定の条件と一定の準備ができていなかったので,今日ただちに大衆の前にこれを掲げることは誤りだと思っている」と供述しているという。若干の言葉遣いは違うものの,内容的には先に引用した大原社研所蔵の調書と同一だと思われる。だとすれば,東京新聞記事の「予審尋問調書」は新発見でも何でもない。ずっと以前から大原社研では同「調書」を一般公開してきている。「1930年代から関係者の間でうわさとしては知られていた」(『東京新聞』記事の加藤哲郎氏のコメント)どころか,何人もの研究者などによって閲覧され,知られていることなのである。
 30年代初頭には「君主制打倒」さえおろせば容認する転向政策が登場する(伊藤晃『転向と天皇制』勁草書房)ので,「君主制の撤廃」を掲げないとした野坂がその故に釈放されたということは十分に考えられるであろう。野坂の「天皇退位論」は「政治的制度としての天皇制は民主化の結果廃止するが,天皇の存在はのこし,現天皇の退位を求める」(141頁)というものであったが,これは「延安時代」に定式化されたと筆者は述べている。さきの「野坂詞書」から考えると,この考えは「延安時代」に形成されたというより,それ以前からの彼の信念であったと言えるかもしれない。戦前において「君主制打倒」のスローガンが地下共産党のアイデンティティを形成するものだったことを考えると,これは,「転向」と言えるだろう。だから戦前においては野坂は日本国内ではリーダーシップを取りえないのである。しかし,野坂から言えば,当時の地下共産党の独善的な路線に見切りをつけて「民主主義路線」へ向かう第一歩だったのかもしれない。
 次に,野坂の山本についてのディミトロフあての書簡が「密告状」だったかどうかについて,筆者は「1930年代の置史的状況のなかに置いて見れば,そのような評価はすべて当をえない」(78頁)として,全面的に「密告状」説を否定されている。和田氏は野坂の「責任」について2点のみ指摘されるにとどまる。それは「スターリン批判ののちに,山本問題の真実を明らかにすることをせず,むしろ積極的に隠蔽するために工作し,虚偽の記述を重ねたことにある」(79頁)ということと,もうひとつは「伊藤律問題」で,「野坂にとっては,山本懸蔵問題ではなく,伊藤律問題の方がはるかに深刻な意味をもっていたといえよう。…その責任は明白である」(266頁)という。著者は「関マツ」問題での責任,ゾルゲ事件との関わりについて否定されている。さらに,野坂がソ連の内務人民委員部のエイジェントだったかどうかについても 「全体の印象からすれば,野坂が1930年代に内務人民委員部のエイジェントであったという説は信じがたい」(82頁)とされている。帰国後の野坂がソ連のエイジェント,「ソ連の内通者」だったかについても「ディミトロフの意図は,野坂をソ連のエイジェントやスパイに仕立てようというのではなく,基本的には米占領軍から日ソ両党の連絡を秘密にする,さしあたりは徳田らからも秘密にして野坂と連絡するところにあったと考えられる」とされ,「ソ連共産党が日本共産党を直接指導しているような印象を日本を占領したアメリカに与えるべきではな」(139頁)く,「GHQを欺くのは占領期の日本共産党の基本的な路線であった」(176頁)として「日本共産党がソ連から自立しているという雰囲気を保ったことは,日本社会でこの党に対する支持を拡大する効果を持ったのである。それは戦後世界の世界共産主義運動の中で他に例を見ないあり方であった」(207頁)とむしろ高く評価されている。
 つづいて,「アメリカのエイジェント」説について筆者の見解を見よう。エマーソンと野坂の延安での会見で,アメリカ側は野坂を「日本民主化のためのアメリカの協力者として活用するという路線を構築」したし,野坂側もサンフランシスコのOWI(対敵防諜部隊)に協力していた。しかし,筆者は「野坂たちとすればこのような協力は当然のことであった」(111頁)とされるのである。確かに,単純に「アメリカのスパイ」とは言えないものの,反ファシズム戦争としての第2次世界大戦から,急速に冷戦構造に入り込むこの時期にあって,この評価は微妙な問題を含む。
 いずれにしても,野坂の柔軟で穏健な路線は 「諜報」とか「転向」というところから出たものではなく,中国共産党の新民主主義論とイタリア共産党から学んだ民主主義革命路線であり,野坂たちの延安での活動は「コミンテルン7回大会の反ファッショ人民戦線論に加えて,毛沢東と中国共産党の思想的な営みを吸収した」(99頁)ものであったと高く評価されるのである。こうして,「とにもかくにも延安の地で日本人と中国人と朝鮮人が大日本帝国の戦争と侵略に反対して,手を握りあい,ともに闘ったという事実は,この暗黒の時代に大きな光を発するものであった」(121頁)と,野坂たちの中国での活動の歴史的意義を再確認されている。
 本書は,「ソ連のスパイ・アメリカのスパイ」という最近の論調に一つ一つ事実でもって検討して反論し,かつて描かれていた野坂像を積極的に擁護した著書と言えるであろう。


和田春樹著『歴史としての野坂参三』平凡社,1996年3月,308頁,定価2,400円

うめだ・としひで 法政大学大原社会問題研究所兼任研究員

『大原社会問題研究所雑誌』第458号(1997年1月)

 何が真実なのか よう わからん

   要するにこういうスターリン主義をのりこえて反スターリン主義の真っ当な党を 労働者階級は実践のなかで 希求しているし つくりだそう ということ     

 しかし 謀略というのは 自分の階級的不正を みとめない 責任転嫁の 論理として便利です

 カクマルの謀略論しかり

 松本 清張の 日本の黒い霧 は一見 実証的っぽいけど マユツバものだと思う

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朗読者

 港のシクロオヤジは肉体派=反知性主義を自称しているように本を買って読むことはほとんどない

 前進 読むだけでも大変なのに 他に本を読むなんてことは まずない

 小説なんて 世界名作なんて 殆ど読んだことない 

 唯一例外はポルノ小説

 中学生のころ「チャタレイ夫人の恋人」の

 発禁部分の本末の英語部分を

 辞書を一生懸命引いて興奮し

 はじめての精通を経験したという 純な(!?)子供だった

 小説=フィクション しょうもねえ という価値観で 読むのはもっぱら○○探検記など

 だから朝日新聞の 本多 勝一の ニューギニア高地人 などに かぶりついていた

 そこに 10・8羽田 山崎くんが 読んでいた本というのを 自分も読まなくちゃ

 世の中に取り残される

 そして獄中で 前進を隅から隅まで 縮刷版のあの小さい活字 まで読んで

 あらゆる党派の機関紙を 読み比べ

 資本論を わけも わからず 読み通し

 自分はマルクス主義者として 生きていくことを決意した

 で

 愛を読むひと 昨日みにいって

 その足で旭屋書店で 本を買って 一気に読んで ブログを書いているのです

 映画は総入れ替え っておかしい!

 1回みて すべて 理解できます?

 後半部分は殆ど泣きながら見ましたから なおさら 映画の構成が わからなかった

 自転車旅行の時 教会に入って ハンナは 泣きながら 幸せそうだけど なぜ?

 なぜ ハンナの 墓が あの教会 の側なの?

 唯一の 生き残りで 今は 小説家の 女性は 裕福に描かれ

 ユダヤ人の 慈善団体にカンパするのは 駄目だけど 識字協会なら

 ユダヤ人の識字率は高いから という 

 シンドラーのリスト 的なホロコースト批判のレベルなのか それを批判しているのか

 なぜ ハンナは 生き残りの彼女に ケルトの缶を 懺悔として 送り

 彼女は 缶だけを 受け取ったのか 

 彼女も朗読者だったからなのか

 朗読してもらってる ある小説の中味にたいして ハンナが激昂するけど なぜ?

 決定的なところで 坊や はいつも ハンナを裏切る わけだが

 だったら朗読してテープを獄中に送るのは なぜ

 ハンナは 色々な小説を聞いて楽しんでいたが 

 なぜ チャタレイ婦人の恋人 はもういい と拒絶したのだろう 

 オヤジとは大違いだから 打撃をうける ひっかかる

 1回見たぐらいでは 理解できないシーンや わからないシーンが多すぎる

 疑問への答えを得ようと小説よんで

 答えが 出て すっとしました

 朗読者はとても考えさせられる本です

 小説読んでから 映画を見たほうが より感動は深いと 思いますね

 ドイツの小説がアメリカで200万部のベストセラーというのも納得

 63年から65年のアウシュビッツ裁判

 それにたいするドイツの全共闘世代の問題提起

 ただし スターリン主義の裏切りによってナチズムが勝利した という視点

 労働者が社会の主人公だという視点はないから

 文字を奪還した労働者ハンナには 展望がなく 首吊り という悲劇で終わる 小説

 だから映画もダンサー・イン・ザ・ダークと同じく暗い結末  

 作者のベルンハルト・シュリンクは 法学者で現在はフンボルト大学の法学部教授

 かれの父親はナチスに屈服しておらず 彼も 68年世代 だが

 ドイツの全共闘運動には独特のスタンスをとっている

 翻訳者の松永 美穂さんは早稲田の教授で 翻訳を意識させないのは すごい 

 とにかく オヤジなど 全共闘世代の 心のひだに 響く小説

 とにかく泣きます この小説は 

 

        

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グローバル恐慌 --金融暴走時代の果てにーー

 3・6の街宣で梅田の陸橋上に 2時間前に 登場してしまった 港のシクロオヤジは時間つぶしに EST1 なる 駅前ビルの 本屋に いき ベストセラーを 椅子に座って 2時間 ただ(無料)読み

 岩波新書 「グローバル恐慌 --金融暴走の果てにーー」を あらかた読んで あらためて 中核派の 現状分析の正しさを確信した次第です

グローバル恐慌
――
金融暴走時代の果てに ――

浜 矩子

新赤版 1168
体裁=新書判・並製・216
定価 735円(本体 700 + 5%
■2009
120
■ISBN978-4-00-431168-3 C0233


アメリカのサブプライム危機は,金融市場を麻痺させ,全世界を震撼させている.現在の経済収縮は,金融危機の段階を超え,世界規模の「恐慌」の入口に来ているのではないか.危機拡大の要因を解説しながら,事態の意味,世界同時不況のゆくえについて考察.金融の暴走をもたらしたグローバル資本主義経済を変革する必要性を強く訴える.

浜矩子『グローバル恐慌』(岩波新書)

 

 酔流亭日乗 というブログにも紹介されていました

 この本の著者の名を初めて目にしたのは去年の9月、福田康夫・前総理が辞任したとき。前総理のことや、あの急な辞任については色々なことが言われたけれど、浜教授が新聞に書いていたことに一番同感した。たとえば、こんな具合。
私は、福田首相は『番頭外交』というもので世界に打って出ればいいと思っていた。番頭外交とは、大だんながむちゃなことを言ったら『まあまあ』となだめ、若だんなが遊びほうけていたらいさめる」(9/3朝日新聞朝刊)。

どういう人なのかと思っていたら、経済の先生なのであった(同志社大学教授)。今年になって出版された『グローバル恐慌』を、その題名と新書という形式(読みやすいに違いない)に魅かれて買ってみた。
経済というのは、わかる人にはわかっているのだろうけれど、わからない人間にはまるでわからない。酔流亭は、そのわからないほうのクチである。しかし、サブプライム・ローン問題や証券化は、こんなふうに説明してもらうと、いくらかはわかったような気になる。

本質的な問題は、サブプライム融資に内在するリスクが証券化という手法によって世界中にばら撒かれていったことにある」(22ページ)。
証券化を活用する金融機関は、ツケで飲む客が多い飲み屋のようなものである。なじみ客が増えるのは結構だ。だが、ツケはあくまでツケである。・・・・そこで、飲み屋は一計を案ずる。たまった請求書を切り分けたり束ねたりして、たくさんの福袋をつくるのである。その福袋を町中の人々を相手に売りまくれば、飲み屋の手元には福袋代という現金収入が入ってくる。同時に貸し倒れリスクも福袋の買い手に転化することが出来る。請求書の山が突如として現金に化けるは、リスクは人に押しつけられるは。これぞまさしく、金融錬金術だ」(23ページ)。

酔流亭は酒飲みだから、ツケで飲む客が多い飲み屋という喩(たと)えが面白い。もっとも自分ではツケ飲みはしないけど。

それにしても、出口はあるのだろうか。市場原理主義の破綻は明らかだろう。ケインズ主義の復活が言われるけれど、ニューディールは膨大な財政赤字を覚悟しなくてはならない。社会主義を酔流亭はまだ踏み倒したくはないのだけれど、しかしそれが復権することがあるとしてもまだ時間がかかりそうである。
雑誌『世界』二月号に載った寺島実郎氏の論考『直面する危機の本質と日本の進路』について酔流亭は同感しつつも、いくらか道徳論になっていないかと感じたことをこのブログに以前書いた。
しかし、誠実に問題と向き合おうとすれば、精神的なものを大事にしなければならないのが現状かもしれない。本書の著者も最後に人間の問題を強調する。「人間の営みであるはずの経済活動の中でも、金融は最も人間的な信用の絆で形づくられている。そうであるはずだった金融の世界から、人間が消えた。ここに、問題の本質があるのかもしれない」(197ページ)。

 

この本に書いてあることは ほとんど 中核派の 経済論文に書いてある

 ただ重要なのは この人が 三菱総合研究所という 資本家のシンクタンクの中枢にいて

 なぜ いずれパンクするのは必至のそんなCDSを日帝が買いまくったのか 買わざるをえなかったのか をリアルに暴露しているんです

 そして 新自由主義が諸悪の根源と 資本主義の節度を保てと お説教を垂れておられる

 資本主義の生命力は完全に尽きた

 労働者階級は革命をやるしか生きられない

 革命をやれるのは労働者階級以外にない

 このことが 言えない というか 考えたくないから

 これからどうなるか 予測がつかないという 絶望的な結論をつぶやかれています

 こんな本 金出して買うのなら 前進 買うほうが よっぽど ためになり元気がでてきますよ

 でも 中核派の 新自由主義の破綻=かって経験したことがない恐慌論が すごいレベルだということを この「グローバル恐慌」読んで 納得したけど 

 島崎さん!

 浜先生のように 労働者が 焼酎のみながら なるほど とわかるように おもしろい例えなど どんどん してくださいね

 前進の「焦点」も 御手洗の悪党ぶりを 週刊現代のように もっと生き生きと 暴露して欲しい

 でも 前進も このごろ 生き生きとしてきましたね

 港のシクロオヤジは このごろ 焼酎を飲まないでも 生活できるようになって アルコール依存症から 脱却しつつある といっても週1回飲まない日をつくっただけだけど

 だから前進も この日は一気読み 

 いまだに すみからすみまで 前進の 完読 は続けています

 われながら すごい!(だれもほめてくれないから自画自賛)

 前進 完読するまで ブログは更新してはならない

 これを貫徹するのが大変

 春眠 暁を覚えず (でしたか?)

 時間がなくなってくると 速読というか斜め読みになってしまうけどね 

 反省!

 青年労働者諸君!

 前進はすみからすみまで完読しよう!

 天につばする港のシクロオヤジでした

 

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