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2007年7月アパッチヘリの市民虐殺映像

ニュースでみましたが山本史郎さんのイラク情勢ニュースをコピペします

指定のリンクでは出てこないのでこちらへhttp://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/f38b8b7610d98816558cb50f72601140

4:50くらいからが虐殺の映像です

絶対に許さんぞ


 4月5日(月曜日)、Wikileaks.org (ウィキリーク)がイラクからのビデオ
映像をウェブに公開したが、それは2007年7月1日に米軍のアパッチ攻撃ヘ
リから撮影されたもので、同乗していた兵士が市民12人を殺し、子ども2人を
負傷させたときのものだ。死亡者のなかにはロイター通信のスタッフ2人が含ま
れていた。写真家のナミール・ヌル・エルディーンと運転手のサイードである。

 米軍もビデオの信憑性を確認した。

 映像はいわれのない虐殺であることを明白に示しており、兵士たちの何気ない
会話を聞きながらこれを見るのは、ショッキングである。

 イラクにおいて米兵によるこの種の行為は珍しいものではない。

 アメリカの占領軍によって無実のイラク人が虐殺されるという、同じようにゾ
ッとする体験を見聞した兵士たちと、私は何度も話したことがある。

 米海兵隊のジェイソン・ワシュバーン伍長は、イラクに3度派遣されたが、「
1人の女性が歩いていた姿を忘れられない」と話しだした。メリーランド州のシ
ルバー・スプリングで、2008年3月13日から16日にかけて開かれた、<
冬の兵士>の公聴会でのことである。「彼女は大きなバッグを持っていて、私た
ちの方へ向かっている来ているようだったので、MK19自動擲弾銃で彼女を撃
ったが、ほこりが消えると、バッグには食料品が詰められていた。彼女は私たち
に食べ物を差し入れようといていたのに、私たちは彼女を粉々に吹き飛ばしたの
だった」。

 ※訳注..MK19 大型機関銃のように三脚に据え、40ミリの擲弾を毎分30
0発以上発射できる。厚さ5センチの装甲を貫通する威力で、対人・対装甲車両
の両用に使用される。

 <冬の兵士>の公聴会は、占領体験の真相を米国内のメディアと共有するため
に、イラクとアフガニスタンからの帰還兵に演壇を提供するものだった。

 ワシュバーンは登壇者の1人として、イラクでの軍の交戦規定(ROE)につい
て話し、実際には存在しないのと同じくらいに希薄になっている、と証言した。

 ワシュバーンの証言はさらに続いた。「私が3度派遣された間に、交戦規定は
大きく変わった。危険性が高まるほど、私たちに許される模範的対応もヒドイも
のとなった。ウィンクしたり小突いたりして口裏を合わせてきた例をあげると、
落とすための武器を持ち運んだり、3度目の派遣では落とすためのシャベルもあ
った。そんな武器やシャベルを持ち運ぶのは、もしウッカリして民間人を銃撃し
たら、死体の上にそれらの武器を置いて、彼らを反政府ゲリラのように見せかけ
るためだった。」

 陸軍の第82空挺師団に所属して1年間イラクで軍務についたハート・ビゲス
は、無線で受けた命令について話した。

 「ある時は、敵がタクシーを使っているという理由から、すべてのタクシーを
銃撃せよと命令された。狙撃兵の1人が聞き返した、「なんだって? それは本
当か? 全部のタクシーを撃つのかい?」と。中佐からの返答は、「聞こえただ
ろう。全部のタクシーを撃て」だった。その後、この町では全部隊が車に発砲し
た。これが私の体験した最初の戦争であり、派遣されている間は、ずっとそんな
調子だった」。

 シリア国境に近いイラクのカイム地区に1年いた海兵隊のビンセント・エマヌ
エルは、敵を見分けようともせずに街中で弾倉がカラになるまで撃ったこと、死
体の上を巡回車両で走ったこと、死体といっしょに「勝利」の記念撮影をいたこ
と、などを証言した。

 「イラクでよくやったことと言えば、走りすぎる車を蜂の巣にすることだった
」と彼は言った。「これは特別なできごとではなく、8ヶ月の派遣期間に最もよ
くやったことだった」。

 
(今回、ここから)

 <戦争に反対するイラク帰還兵>の責任者であるケリー・ダハティは、イラク
に派遣された兵士の悪行はアメリカ政府の政策が原因だと非難した。

 「占領中になされた悪行は、<少数の腐ったリンゴ>による不始末どころでは
なく、わが政府の中東政策がもたらしたものであり、その政策はアメリカの政権
中枢で作られた」と彼女は指摘した。

 マイケル・リデュークは海兵隊の伍長で、2004年11月の米軍によるファ
ルージャ攻撃に参加した。彼らが市内に突入する前に、所属するJAG大隊の将
校から受けとった命令は、次のようなものだった。「白旗を掲げる人物に遭遇し
たとして、彼がゆっくりと君たちに近づくだけで指図にも従っているとしても、
それはワナだとみなして射殺せよ」。


 同じく海兵隊伍長だったブライアン・カスラーは、イラクに侵攻した時期、兵
士たちがイラク人に対して流行のように行っていた非人間的行為を目撃したと言
った。

 彼の証言は、「・・・車列が進むうち、海兵隊員がバッグに大便をしたり、ボ
トルに小便をし、それを道ばたにいる子どもたちに投げつけた」というものだっ
た。


 2005年から翌6年までイラクに従軍したスコット・エウィングは、部隊が
ことさらにイラク人の子どもにキャンディーを投げたのは、「勝利者気分」と別
に、もう一つの理由があったと認めた。

 「別の動機というのは、もし子どもたちが車両をとり囲めば、敵は攻撃できな
い。つまり子どもたちを人間の盾に使うんだ」とエウィングは説明した。


 wikileaksが公開したビデオに反応して、ペンタゴン=米国防総省は
非公式ながら、ペンタゴンが行った2つの調査で、ヘリ搭乗員は間違ったことは
何もしてないことが明らかだ、と発表した。

 2つの調査にもとづく声明は、ヘリ乗員は適切かつ交戦規則に従って行動した
、と述べていた。


 アダム・コケシュは、2004年2月からおよそ1年間、ファルージャに派遣
されていた。

 彼は前述の公聴会に登壇して交戦規則について話したなかで、イラクに派遣さ
れた兵士に公布された交戦規則カードを頭上に掲げて、「カードに書かれている
のはこうだ。このカードに記載されたいかなる条文も、自分自身を守るためには
、人を殺す武器の使用を禁じていない」と説明した。


 コケシュは、「適切な根拠のある判断」と見なされるには、交戦規則のもとで
武器を使用するという条件を整えることだと述べ、これが手当たり次第の民間人
虐殺を招いていると指摘した。

 彼は2004年4月のファルージャ包囲攻撃にも参加したという。攻撃期間中
、ファルージャ総合病院の医師たちは、私の取材に、736人が死亡し、その6
割以上が一般市民だと話していた。

 「下着を取り替えるよりも頻繁に、交戦規則が変更された」とコケシュは言う
。「われわれはファルージャに夜間外出禁止令を課したが、その時、われわれは
闇の中で動くものには何であれ銃撃せよ、と命令されていた」。

 彼の証言はまだ続く。包囲期間中に2度の停戦があって、米軍は可能な限り多
くの女性と子どもを市外に連れだそうと決めたが、大部分の男たちはその対象に
含まれなかった」。

 「男たちは14歳以下でなければならなかった。それで私は、そこに行っては
男たちを追い返したが、男たちはそこで妻子と引き離されることになった。しか
し私たちはそれを親切だと思っていた」と彼は話した。


 スティーブ・ケーシーは2003年の半ばから1年以上イラクで従軍した。

 「われわれは2004年4月に帰国する予定だったが、戦闘が多発したので、
ひきつづきブラック・ジャック作戦に参加した」とケーシーは話した。「車が来
ると、米兵がラジエーターや窓に発砲するのを私は見た。私自身が目撃しただけ
でも20回以上になる」。


 ジェイスン・ハードは2004年11月から2005年11月まで、バグダッ
ド中心部に派遣された。彼の部隊が戦闘現場付近から「迂回」をすると、機関銃
の射手は近くの建物に200発以上をぶっ放した。

 彼がイラクにいる間に、情勢は急速に悪化した、とハードは言う。「何度も、
戦争のデタラメぶりが実演されるたびに、同じ部隊の同僚兵士は、反対車線を走
る車両に見境なしに発砲した。部隊の連中は、後にその件でホラを吹いたものだ
。それを笑いとばしていた自分に、ギョッとしたことを思い出すが、それが現実
だ」。


 筆者らがインタビューした他の兵士は、イラクで交戦規則がどうなっていたか
を尋ねると、しばしば笑いだしたものだ。


 ギャレット・リッペンハーゲンは2004年2月から2005年まで、バグダ
ッド北東40キロに位置するバクーバ市で従軍した。イラクに派遣されて最初の
彼の体験は、夜間の戦地任務に就いたとき、イラク人農夫2人を殺したパトロー
ルであった。

 「彼らが夜に農作業をしていたのは、潅漑用のポンプが電動式だからだと教え
られた。つまり、電気が通じるようになる夜中に出かけなければならなかった、
ということだ」と彼は説明した。

 「軍曹に、そのことを知っていたら、農夫を撃っただろうかと尋ねた。軍曹は
、夜間外出禁止令が出た後に外出したんだから(仕方がない)、と答えた。イラ
クに派遣されている期間に、それ以外の交戦規則は提示されなかった」。


 エマヌエルがその話を補足した。「私たちは橋を破壊しようとしたとき、銃撃
を受けた。撃ってきた者の多くは、一般の民間人の中に溶けこんでいた。そのた
め私たちの部隊は、街の中に入るためには、何に対しても、誰に対しても撃つこ
とにした。気がつくと、街に入って弾倉は空っぽになっていたが、標的を確認し
たことは一度もなかった」。

 エマヌエルは、無実であることを知ったうえで、拘束された者を虐待したこと
についても話した。「私たち自身、彼らをいたぶるためにしたことで、彼らを砂
漠に放り出すために、ハンビーに乗せて連れて行ったが、投げ出すときに殴る蹴
るの暴行を加えた」。


 ジェイスン・ワイン・レミーは、イラクに3度派遣された海兵隊員である。

 イラク侵略の際の第1回目の派遣について、彼は、「指揮官が私に言ったのは
、殺されるべき者は殺せ、救うべき者は救えだった。それが最初の派遣任務だっ
た」と話した。

 「交戦規則が変わったあと、シャベルを持っている者、屋上に立って電話で話
している者、夜間外出禁止令の発効後に外出している者、(こうした者は)殺さ
れるべきだ(と規定された)。この規則によって、どれほど多くの人々が死んだ
か、私は語り尽くせない。3度目のイラク派遣では、まさに一般人を撃つよう命
令された。あとは上官が処理してくれるだろう、と」。


 2004年11月、筆者がバグダッドにいたとき、私が雇ったイラク人通訳は
アブ・ハニファ・モスクに居て、金曜礼拝のさなかに米軍とイラク軍兵士から襲
撃された。

 アブ・タラット(通訳の名)はまだ強制捜査が行われている時点で、筆者にモ
スク内から電話してきて、「みんなが金曜日の礼拝に集まっているとき、5台の
ハンビーと数台の小型トラックが、米兵とイラク軍兵士を乗せてやってきた」と
告げた。「誰もがおびえて、アラーフ・アクバル(神は偉大なり)と叫び始めた
。すると兵士たちは祈っている人々を撃ち始めた」。

 彼はパニックに陥った声で、「彼らは祈っている市民を4人以上射殺した」と
言った。「他にも少なくとも10人以上が負傷した。とんでもないことだ」。

 イラク赤新月社はその後、少なくとも4人が殺され、9人以上が負傷したと筆
者に連絡してきた。筆者は後に、モスク内の壁に脳ミソが飛び散っているのを目
撃したし、カーペットには何カ所も大量の血がにじんでいた。

 この種の見境のない殺人は、イラク侵攻の初めから一般的であった。


 イラク戦争の帰還兵であり元州兵、陸軍予備役メンバーであるジェイソン・ム
ーンと筆者は話したことがある。彼はイラク侵攻の期間中も戦場にいた。

 「2003年6月初めにイラクに入った車列のなかで、私たちはある直接命令
を受けた。もし子どもあるいは民間人が車列内の車の前に出てきても、われわれ
は停車してはならず、速度を落としてもならず、進みつづけるべきだ。ゲリラが
人混みの中から人間を盾にして攻撃するときには、その人数を数えるべきだ。民
間人が30人以下だったら、その一帯を銃撃することが許された。そしてもし3
0人以上だったら、銃撃されることを想定して、司令部に報告をあげよ。それが
交戦規則だ。君のことは知らないが、もし群衆の中から銃撃されたら、君はどれ
ほど素早く、どれだけ正確に、数えることができるだろうか? 」

 ムーンはあるビデオを持ち出した。そこには「ゲリラとイラクの民間人との違
いは、死んでいるか生きているかだ」と軍曹が叫んでいる場面が映されていた。

 ムーンはその発想を説明した。それは、「もし君が民間人を殺したとしたら、
君はその人物を危険と感じて殺したわけだから、殺された人間はゲリラというこ
とになる」というものだ。


 ウィキリークのビデオに映し出された殺人についてのペンタゴンの検証によれ
ば、ヘリの搭乗員は発砲する前に、ビデオに映った人々が戦士であると「信じる
にたる理由」を持っていた。

 ジュネーブ条約の第48条は、民間人の保護に関して「基本的な原則」を述べ
ている。

 「民間人および民間人の財産を保護し尊厳を確保するために、参戦国はいかな
る時も民間人と戦闘要員、民間人の財産と軍の物件とを区別しなければならず、
したがってその作戦は軍の物件に対してのみ向けられなければならない。」


 イラクで起こっていることは、精神医学者ジェイ・リフトンが「虐殺を作りだ
す条件」と呼んでいるものを反映しているように思われる。彼はこの言葉を、『
ナチの医者』という本で最初に使った。2004年、彼は『ネイション』誌に論
文を寄稿し、自分の洞察をイラク戦争と占領に適用している。

 リフトンが書いた「虐殺を作りだす条件」は、権力構造が環境に作用して、「
君や私と変わらない普通の人々、普通の男女が虐殺に手を染めるときに発生する
。この種の虐殺を作りだす条件は、良い戦争といわれる第二次世界大戦を含めて
、あらゆる戦争において、確かに一定の割合で発生する。しかし敵意にみちた対
ゲリラ戦争は、とりわけイデオロギー的に深く歪曲された時には、特に残虐にな
りやすく、占領ともなればなおさらである」。


 クリフ・ヒックスは2003年10月から2004年8月までイラクで従軍し
た。

 「高層のアパート群があって、そこは住民がわれわれを外壁越しに眺めること
ができる唯一のスポットだった」とヒックスは筆者に話した。

 「バルコニーには洗濯物が干され、住民は新鮮な空気を吸うために屋根に上が
っていた。そこは子どもや家族連れでいっぱいだった。滅多にないことだが、戦
士がそのビルの屋上に上がり、われわれの車両が通過するのを狙撃しようとした
。実際には彼らは誰も命中させることはできない。壁にさえぎられていればよい
と知っていたので、中佐が運転中に撃たれて驚くまで、誰も気にしなかったのだ
。驚いた中佐は、フープの中に飛び込んで赤いテープを何本も切ったあげく、次
の夜にC130を呼び寄せて、平坦地にしてしまった。その日の夕方、私がパト
ロールから戻るときには、アパート群は住民でいっぱいだったのに」。


※訳注) C130: 米軍の輸送機だが、イラクでは改造して機関砲を据え付
け、攻撃機として使用するケースが少なくない。


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