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自艦が給油した米艦はイラク作戦に使用した

http://www.peacedepot.org/media/pcr/mediarelease3/oil.htm より転載します。

ピースデポ調査・緊急報告

海自艦が給油した米艦はイラク作戦に使用した

2007年9月20日 記者会見
ピースデポ代表:梅林宏道

●要約

 海上自衛隊の補給艦「ときわ」が03年2月25日に米空母キティホークに間接給油したことが、同年5月6日に空母が横須賀に帰還したとき明らかになり、国会でも論争された。しかし、当時は検証可能な情報が不足しており真相は解明できなかった。本報告は、この時の給油の真相を米海軍公文書の調査によって明らかにする。

 調査された海軍公文書は、米給油艦ペコス、空母キティホーク、イージス巡洋艦カウペンスの航海日誌とキティホークの2003年司令官年次報告である。
「ときわ」が給油をした相手の船は、給油艦ペコスであり、同じ日にペコスから空母キティホークと巡洋艦カウペンスに給油された。「ときわ」が給油した燃料油は、約80ガロンであり、キティホークが得たと発表された全量と一致する。給油を受けた場所、その後のキティホークの航跡は、空母が「不朽の自由作戦(OEF)」に従事したという説明は、ほとんど成り立たないことを示している。給油された燃料の大部分はペルシャ湾内でのイラク「南方監視作戦(OSW)」のために使ったと結論づけることができる。これは、「対テロ特措法」に違反する。

 日本政府のもつ第一次情報の公開と、少なくとも違法に給油された燃料の返還が必要である。

●根拠文献
 
 2004年から2006年にかけ、米情報公開法による請求、あるいは海軍歴史センター(米ワシントンDC)における閲覧によって得られた。
 
 1.米給油艦ペコス(T-AO197)の航海日誌
 2.米空母キティホーク(CV63)の航海日誌
 3.米巡洋艦カウペンス(CG63)の航海日誌
 4.米空母キティホークの2003年司令官年次報告

●背景
 
 2003年5月、ペルシャ湾航海から母港横須賀に帰還したキティホーク司令官が、自衛隊補給艦「ときわ」からの給油を受けたと述べたことから、「対テロ特措法」との関係で大きな政治問題となった。当時、政府が説明したことは、「2003年2月25日、オマーン湾で『ときわ』から米海軍の補給艦に約20万ガロンを給油し、キティホークはその補給艦から約80万ガロンの給油を受けた。キティホークはそれを法律の定めるとおりアフガニスタンでの「不朽の自由作戦」に使った」というものであった。この内容は、繰り返し国会で防衛庁長官から答弁された(資料①)。

●給油の実際
 
 まず、航海日誌から海上自衛隊の補給艦「ときわ」(AOE423)から空母キティホーク、巡洋艦カウペンスへの給油が、どのように行われたかを明らかにする。

 キティホークが、「ときわ」から間接的に「対テロ特措法」による給油を受けたという報道に接した後、ピースデポはキティホークの航海日誌を調査して、「ときわ」が給油した直接の相手は、米海軍の給油艦「ペコス」であることを突き止めた。そこで、「ペコス」の航海日誌を入手し、調査した。その03年2月25日の航海日誌(資料②)とその全訳(資料③)を添付する。

 そこには、「ペコス」が「ときわ」から給油を受けた後に「キティホーク」と「カウペンス」に給油したことが記されている。これらの船の航海日誌の記述を重ね合わせることによって、給油の実態は次のように解明される。

 「ペコス」が「ときわ」からの洋上補給(UNREP)体制をとったのは25日午前6時30分であり、6時37分には「ときわ」に接近、7分後には両艦は並走状態に入った。給油ホースが接続され、給油が始まり、終わった後にホースがすべて撤去されたのが、午前10時9分であった。10時13分に両艦は離れた。この間に「ときわ」から18,704バレル(78.6万ガロン、2973キロリットル)の船舶用ディーゼル油(DFM)が給油された。

 「ペコス」の航海日誌は、「ときわ」と離れたわずか2分後(10時15分)には、キティホークの給油に向かうと記録している。そして、「ペコス」は他艦と接触することなく予定の給油地点へ向かった。キティホークは午後4時30分に受油体制に入った。「ときわ」と離れて約7時間後の午後5時3分に「ペコス」とキティホークの両艦は接近し、午後5時37分に給油ホースは連結され、45分にポンプが始まった。午後7時28分に給油が止まり(キティホークの航海日誌、資料④)、午後8時20分にホースが完全に撤去され、同25分には両艦は離れた。

 「ペコス」の左舷でキティホークへの給油がまだ完了しないうちに、右舷にカウペンスが接近した。そして午後8時4分には並走状態に入った。カウペンスへの給油が始まり、午後9時32分には全てのホースは撤去され、9時38分にはカウペンスはペコスから離れた。

 「ペコス」を中心に時系列を整理すると資料⑤のようになる。

◆要点1 「ときわ」が直接給油した船が「米給油艦ペコス」であることが初めて判明した。

◆要点2 「ときわ」から「ペコス」に約80万ガロンの船舶用ディーゼル油が給油された。これは、日本政府発表(20万ガロン)と異なり、キティホークが米補給艦から受けたと発表された全量と一致する。

◆要点3 「ペコス」は「ときわ」から給油を受けた直後にキティホークに向かい他艦と接触することなくキティホークに全量を給油した。つまり、間接給油とはいえ、「ときわ」の給油はキティホークへの80万ガロン供給を目的とした給油であった。当時のキティホーク司令官の最初の発言(資料⑥)と一致する。

●キティホークの航跡
 
 「ペコス」の記録から、2003年午後8時00分には、「ペコス」、キティホーク、カウペンスの3艦が同じ地点にいたことが分かる。航海日誌から、この地点は<北緯25度19分、東経56度51分>である。(資料④、地図1・資料⑦)

 「対テロ特措法」によれば、自衛艦から給油を受けたキティホークは、それ以後アフガニスタンにおける「不朽の自由作戦(OEF)」に従事しなければならないわけであるが、そのような状況はまったく見受けられない。

 地図2の航跡図(資料⑧)を見て明らかなように、キティホークとカウペンスはほぼ共同行動をとっているが、いずれもマラッカ海峡通過後直ちに行き先を「ペルシャ湾」と記載(例として2月17日の航海日誌を添付。資料④)している。そして、「不朽の自由作戦」に関わるのに好都合なインド洋、アラビア海での展開をせずに、まっすぐオマーン湾深くの給油地点に入っている。この場所では「不朽の自由作戦」のために飛行機を飛ばすためにはイラン上空を飛ばなければならず、極めて説明のつかない位置である。

 しかも、キティホーク航海日誌の記録は、26日午後0時52分に12海里線を横切ってホルムズ海峡にさしかかり、午後4時にはホルムズ海峡をすでに通過してペルシャ湾の中にいることを示している(資料④)。つまり、給油を受けてから約17時間後にはキティホークはペルシャ湾にさしかかり、20時間後には完全にペルシャ湾内に入っている。わざわざペルシャ湾に入って、イラン上空を横切ってアフガニスタンに飛行機を飛ばすという理屈は成り立たない。

 さらに、米会計検査院(GAO)の統計によると、作戦行動時の通常型空母の一日の船舶用ディーゼル燃料(DFM)平均消費量は2700バレル(約11万3000ガロン)である(資料⑨)。「ときわ」が供給した18,704バレルは約1週間分の燃料である。仮に、日本政府の当時の説明のように、キティホークが2月25日にOEFに参加していたとしても、80万ガロンの極一部分を費やすことができるだけである。

◆要点4 キティホークがペコスから給油を受けた地点が特定された。<北緯25度19分、東経56度51分>である。当時、漠然とオマーン湾と言われていたが、ペルシャ湾入口に近い場所である。

◆要点5 キティホークはマラッカ海峡を横切った時点から行く先をペルシャ湾と書き、インド洋、アラビア海は通過しただけで、まっすぐ給油地点に向かった。「不朽の自由作戦」に参加したとは思えない。

◆要点6 給油を受けてから17時間後には、キティホ-クはホルムズ海峡にさしかかり、20時間後にはペルシャ湾内にいる。「不朽の自由作戦」のための給油であるとは言えない。

◆要点7 80万ガロンは、作戦従事しているキティホークの平均1週間分のディーゼル燃料油であり、この点からも「不朽の自由作戦」のために使ったという説明は成り立たない。

◆要点8 「対テロ特措法」に違反した給油であったと言わざるを得ない。
                                        

●キティホークの任務

 全ての米海軍軍艦の司令官は、1年間の組織、作戦の経過報告書を提出する。2003年のキティホークの司令官年次報告(2004年3月31日付)を入手した(資料⑩)。

 その年次報告の年表部分にも、記述部分にも「不朽の自由作戦(OEF)」やアフガニスタンという言葉は一言も出てこない。その代わりに、キティホークが参加した作戦は、イラク「南方監視作戦(OSW)」と「イラク自由作戦(OIF)」であったことが明記されている。

 年表部分には、横須賀を出発した1月23日(2月23日と誤記している。航海日誌から誤記は明らか)に、「キティホークは、マラッカ海峡、ホルムズ海峡を無事に通過し、南方監視作戦(OSW)とイラク自由作戦(OIF)を支援する104日の配備のために横須賀を出発」と書いている(抜粋訳、資料⑪)。さらに、南方監視に参加する時期に関しては3月5日前後と推定できる記述がある。つまり、すでにペルシャ湾内に入っていた2月27日に洋上で司令官の交代式があり、その後1週間経たないころに「南方飛行禁止ゾーンを執行」と記述している。また別のところには、「南方監視作戦が2003年春(3月)に入っても継続するなかで、キティホーク打撃団は、ローテーション・スケジュールで他の打撃団に加わった」という表現がある。

 このような記述から、キティホークの作戦目的は3月初めに南方監視作戦(OSW)に参加することであり、その目的でペルシャ湾に入る直前に、自衛艦の油を受け取ったと理解すべきである。OSWというイラク作戦に向けた給油であり、「不朽の自由作戦」への給油という説明は、作戦任務の記録からも成り立たない。

 イラク戦争(「イラク自由作戦(OIF)」)は3月20日に始まったが、キティホークもカウペンスもそのままペルシャ湾で参戦した。カウペンスは最初のトマホークを30発以上発射した艦となった。

 なお、「不朽の自由作戦」という名前は登場せず、南方監視作戦(OSW)とイラク自由作戦(OIF)のみが登場するという状況は、横須賀に帰還時の横須賀基地新聞「シーホーク」(2003年5月9日号)の内容とも一致する。そこには、「5月6日の火曜日、キテイホーク、カウペンス、ジョン・S・マックエインは、イラク自由作戦(OIF)と南方監視作戦(OSW)を支援して連続100日以上の航海を終えて横須賀に帰還した。」「カウペンスは、3月20日、ペルシャ湾でトマホークを発射した最初の船であり、イラク自由作戦を支えて30発以上の巡航ミサイルを発射した」と書かれている。(資料⑫)

◆要点9 キティホークの司令官年次報告に、「不朽の自由作戦」に参加した記述はない。

◆要点10 年次報告に基づくとキティホークはイラク「南方監視作戦(OSW)」に参加するために給油を受けたと考えるべきである。

◆要点11 「ときわ」から給油された80万ガロンの大部分はイラク「南方監視作戦(OSW)」(準備期間も含む)に費やしたと理解できる。

●「ときわ」の給油地点

 「ときわ」がペコスに給油した地点は、本来「ときわ」の情報公開により明らかになるべきであろう。これまで梅林は、インド洋における自衛艦の航泊日誌を防衛省に対して何度も請求したが、拒否されてきた。それに対して異議申し立ても行ってきたが結果は変わらず、防衛省は情報開示を実質的に全面拒否している(公知の出発、帰還の日時と港名のみを開示)。

 ここでは、入手された米情報を基に以下のように「ときわ」の給油海域の推定を行った。2月25日午後5時に「ペコス」とキティホークがほぼ同一地点にいるので、キティホークの航跡図(地図1、資料⑦)から、その時点の「ペコス」がいた場所を推定できる。「ペコス」はその約7時間前に「ときわ」と並走していた。「ペコス」の航海日誌からその平均速度は14ノットと推定されるので、その期間の走行距離は直線距離で約190kmとなる。つまり、「ときわ」から「ペコス」に給油された場所は、もっとも離れた推定として、地図1(資料⑦)の円弧の西側部分となる。

 これはオマーン湾の中でも奥深く、「不朽の自由作戦(OEF)」と関係の深いパキスタンから遠く、ペルシャ湾に近い部分である。

◆要点12 「ときわ」から「ペコス」への給油地点も、東経58.7度以西のオマーン湾の深い地点であると思われる。

◆要点13 航海日誌など、米艦が公開している程度の情報を、自衛艦は公開すべきである。

●結論

 以上のように、「ペコス」、キティホーク、カウペンスの航海日誌とキティホークの年次報告の分析は、海上自衛隊の補給艦から米艦に渡った燃料は、「対テロ特措法」に反して、ほぼすべて米国のイラク作戦に費やされたと結論づけることができる。

 「対テロ特措法」が厳密に運用されず、自衛艦から米艦に無料で支給されている油が、対イラク作戦に使用された疑いが極めて濃厚な一つの事例が、今回の調査で明らかになったと言える。

 「ときわ」からキティホークへの給油問題が、2003年5月に政治問題になった時点では、情報が不足しており十分な状況把握ができなかった。今回、給油量、給油位置、給油時間、米艦の航跡など詳細な記録が判明することによって、様相は変わった。

 自衛隊「ときわ」が供給した油のほぼ全量がキティホークに渡り、キティホークはその大部分をペルシャ湾内で対イラク作戦である「南方監視作戦」に使用したと考えられる。これは「対テロ特措法」に違反する給油行為である。

 自衛隊の当時の一次資料(「ときわ」の貯蔵油量記録、油の受給記録、航泊日誌など)の公開が不可欠である。違法な給油(しかも無料)は国税の違法な支出であり、原因の糾明と、少なくともその返還が必要となる。(以上)

●資料リスト

1.給油に関する国会議事録(03年5月15日)
2.ペコス航海日誌(03年2月25日)
3.ペコス航海日誌(03年2月25日)全訳
4.キティホーク航海日誌(03年2月)
5.ペコスから見た時系列
6.給油に関する国会議事録(03年5月7日)
7.キティホークの航跡(03年2月24日)
8.キティホークとカウペンスの航跡
9.米会計検査院(GAO)報告書:空母の燃料消費量
10.キティホーク年次報告2003
11.キティホーク年次報告抜粋訳
12.「シーホーク」(03年5月9日)

このピースデポの告発に嘘をつき続けるとさらにピンチと防衛省もイラク戦争に給油してましたと認めざるをえなかった。http://www.asahi.com/politics/update/0921/TKY200709210338.htmlより転載します。  

米艦への給油量訂正、イラク流用の可能性 防衛省

2007年09月22日10時20分

 インド洋で活動する海上自衛隊の補給艦が03年2月、対イラク戦争開始直前の米空母キティホークに間接的に給油していた問題で、防衛省は21日、当初20万ガロン(760キロリットル)と国会答弁などで説明していた燃料の供給量を80万ガロン(3030キロリットル)に訂正した。同空母は、給油を受けた後、ペルシャ湾内に入って対イラク作戦に従事していたことが判明している。日本が提供した燃料がテロ対策特別措置法の目的外で使われた可能性が高まっている。

 この問題は、03年5月にキティホークを率いる第5空母戦闘群のモフィット少将が横須賀に帰還した際、海自から間接的に燃料補給を受けたと証言して発覚。当時の福田康夫官房長官は会見で「キティホークの燃料消費は1日20万ガロンで、(海自提供の燃料は)ほとんど瞬間的に消費してしまう。イラク関係に使われることはあり得ない」と述べていたが、80万ガロンに訂正したことで、説明と食い違いが生じる。

 防衛省は21日に会見し、岡真臣・国際協力課長が「海上幕僚監部で集計した際、データの入力に誤りがあった」と誤りを認め、イラク作戦に従事していたか、米側に確認中だと説明した。防衛省はこれまで、給油する艦船について対テロ戦争目的であることを確認する交換公文を交わしていることを理由に、対テロ戦争に使われたと説明してきたが、この日の会見では、米補給艦に給油した後の燃料の使途について「逐一について全部把握しているということではない」と語った。

 間接給油に関しては、市民団体「ピースデポ」が20日、米情報公開制度を通じて入手した航海日誌などから、03年2月25日に海自補給艦「ときわ」から米補給艦ペコスに給油。ペコスを通じて同日に給油を受けた米空母キティホークが直後にペルシャ湾内に入り、対イラク作戦に参加していたことが判明していた。

 自民党国防族の有力議員は朝日新聞に対し「市民団体の指摘の通りだ。日本が提供した燃料がイラク戦争に使われた可能性は否定できない」と明かした。複数の防衛省関係者も「日本の燃料がイラク関連の作戦に流用されたおそれがある」と証言している。

 アフガン周辺の「対テロ戦争」を後方支援するテロ特措法は、インド洋活動での目的を「国際テロの防止・根絶に取り組む国際社会に寄与するため」と規定。イラク作戦は目的外にあたる。

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